原稿                         


中川さんの原稿                 <戻る>


メルボルンでも他の国際都市同様多くの早稲田人が分野をとわず活躍されている。
その中でもとりわけユニークな存在で、久遠の理想を求めて活動されている二人を紹介させていただきたい。
一人は海老原弘氏。
昭和35年商学部卒。
国際的な商社マンとして欧州、西豪州パースなどで日本の高度経済成長の柱であった鉄鋼業などを外から支えるご活躍の後、メルボルン支店長を経歴され、その後日系の大手現地食品会社の役員として招かれ、退職後の今も別の日系の会社の顧問として、またロータリークラブなどの活動を通してますます精力的に民間レベルで日豪の交流に大きく貢献されている。
在豪23年、オーストラリアのまさに紺碧の空と海を眺めながらウラン・天然ガス開発などのエネルギー事業などに燃やされた夢と情熱から生まれた業績の積み重ねなどが、戦没者記念日などには危険ゆえ外出しないようにとの総領事館からの通達があったような時代を変え、昨今のような好ましい日豪関係の礎が築かれたものと思います。

もう一人は大熊勝彦氏。昭和42年教育学部卒。
同学部卒の奥様、洋子氏と昭和63年来豪し、鍼、灸、指圧のクリニックを開業され、東洋医学の実践と普及に努められている。
多国籍国家を反映して東欧、アジア、南米など世界各国の患者さんが来院され、また最近の東洋医学への関心の高さを示すかのようにオーストラリアの医師や看護婦さんも訪れている。
日本の会社の駐在員、出張者あるいは永住の日本人にも当然高い人気を得ている。メルボルンは非常に天気・気温が変わりやすく、また豊かな緑の公園などに囲まれているため、各種の神経痛、花粉症などの患者さんが多いのが特徴とか。
人種や国籍の違いなどを問わず、一対一で人と直接接し、じかに喜んでいただけることができるこの仕事を天職と思い、東洋医学を広めることが今までお世話になった方たちへの恩返しと考えている早稲田人である。

お二人はまたそれぞれ会長として、四半世紀になるメルボルン稲門会の発展にも大きく貢献され、多くの早稲田人の縦横の交流にもご尽力をいただいている。
稲門会にはまた早稲田に留学したオーストラリア人も現在二名在籍され、やはり早稲田人として同じ理想の光を仰いで活躍されている。

(中川伸太郎記―昭和45年理工学部卒)

中川さん
1)                                     2)
 

3)


海老原さん
  





       
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