原稿                         


関根さんの原稿             <戻る>

『豪州の野球事情』

昨年のアテネオリンピックの際、日本の野球ファンをあっと驚かせ、失望させたのがオーストラリアのベースボールチーム。
予選、決勝戦をご覧になった方も多いのではないかと思います。そんな、知られざるオーストラリアベースボールについてリポートしたいと思います。

1872年開成学校(東京大学の前身)のアメリカ人教師が学生たちに野球を教えたのが、日本の野球の始まりと考えられています。
ちなみに1871年散髪許可令、1873年飛脚禁止と当時の日本は明治維新の真っ只中でした。
一方、オーストラリアはというと、1857年(日本より25年も早く)に私の住むメルボルンでベースボールが始まったと記録されています。
当時のオーストラリアは、独立州制を取っており、オーストラリアという国に統一されたのは1901年になってからでした。
1888年にはスポーツシューズ等で有名なSPALDING社がアメリカから2チームを招いて、シドニーとメルボルンで本場のベースボールを、オーストラリア人が楽しんだとされます。1897年には、オーストラリア選抜が、アメリカにわたり各地で計26試合(9勝17敗)を行ったとのことです。

近年のオーストラリアベースボールはというと、1934年から1988年にわたり、オーストラリアの最強チームの地位を争う州選抜チーム間のクラクストンシール((Claxton Shield)選手権が毎年行われました。
その後、オーストラリアベースボール協会は、ベースボールのMajorスポーツ化を図るべく、1989年に初のプロベースボールリーグ、Australia Baseball Leagueを発足させました。
その概要は、オーストラリア全土に散らばる8のプロチームがホーム、アウェイ方式で一チーム年間56試合を行うというものでした。
当初懸念された観客の動員も発足年度の1989年は一試合当たり1000人の観客にとどまったものの、1993年のシーズンには平均約4000人を集めるまでになりました。
強豪チーム間の試合となると1万人を集める試合もあったそうです。
しかし、選手の宿泊費、飛行機代等のリーグ運営費が、リーグの財政を圧迫し、1999年にはリーグのオーナーであった実業家が、リーグ運営から手を引くこととなり、プロリーグは消滅してしまいました。
現在のオーストラリアベースボールはというと、Localレベルでは各州のベースボール協会が、冬夏の2シーズンにわたり地元チーム間の試合を運営しています。全国レベルでは、1999年以降クストンシールド選手権が再開されるようになり、各州選抜チームが毎年一月にオーストラリア最強州を争い短期リーグ戦に参加しています。以上、オーストラリアベースボールの一般的な歴史でした。

ここからは、過去3年間地元のチームでプレーした経験を生かし、一歩踏み込んでオーストラリアのベースボールを解説したいと思います。
まず、日本との一番の違いは、補欠(ベンチウォーマー)という概念が無く、全てのレベルの選手が、それぞれのレベルに合った試合に参加できることです。
例えば、私の所属するPreston Piratesは、現在メルボルン夏リーグの2部に所属します。
夏は1部から4部リーグまであり、それぞれ約8チームがリーグ戦に参加しています。
さらに、Preston Piratesの中で、1st, 2nd, 3rd, 4th , 5th チーム(+年代別の少年野球チーム)とレベルごとに5つのチームに細分化され、それぞれが週末、2部リーグに所属するチームの1st, 2nd, 3rd, 4th, 5th と対戦します。
つまり、Prestonの10番目の選手は、日本の野球チームのように毎週ベンチを暖める必要なく、毎週2ndの選手として2ndの試合に参加できるのです。
当然、Preston2nd で成績を残せば、次の週にはPreston 1stからお呼びがかかります。
リーグ戦は約20試合行われ、各レベルごとに順位が決定し、リーグ戦終了後には、現在のパリーグのようなかたちでFinalトーナメントが行われ、最終的に優勝チームが決まります。
アメリカ人のチームメートは、『こんな年をとっても(彼は、35歳前後)硬球を使ってベースボールを楽しめるのは、オーストラリアくらいじゃないか』と言っていました。
アメリカでも、日本同様、よほどのエリートで無い限り、高校卒業後はベースボールをする環境が限られているとのことです。
更に補欠の概念が無いオーストラリアベースボール、野球好きにはたまらない環境です。
1年ほど前から、規定が変わり内野手、投手の安全を考慮し1部2部リーグの1st, 2nd 並びに3部リーグの1st の試合は、金属バットの使用が禁止されました。
私がメルボルンに移り住んだ三年前は皆、金属バットを使っていたため、1試合にホームラン5本などということも珍しくなく、最終スコア10点代後半、中盤10点差あっても気を抜けないという感じでした。
また、食べるものが違うのか、皆立派な体格(ビールを好むお国柄か、お腹の出た選手が非常に多い)をしており、投手として打球に対して危険を感じることもありました。
それが、木製バットの使用に変更されるに伴い、オーストラリアベースボールが、日本の野球に少し似てきたように感じます。
以前の打力一辺倒の試合運びは影を潜め、以前はありえなかった、バント、ヒットエンドランを駆使し、走力、守備力、投手力に秀でたチームが、相手のミスに乗じて勝利という形が増えてきたように感じます。
ちなみに、私のチームでも先シーズン何回かスクイズをする場面に出くわしました。
さて、オーストラリア人ベースボールに対する関心度ですが、オリンピックで銀メダルを取ったにもかかわらず、お世辞にも高いとはいえません。
ある統計によるとオーストラリア全土で約6万人がベースボールチームに参加しているとのことです(オーストラリアの人口は約2000万人)。
ただ、この数字は少年野球を含めてのものです。オーストラリア第一のスポーツAustralian Footballに参加する12万人(成人のみ)と比べると、かなり見劣りします。更には、野球に参加する成人の中には、以前Australian Footballや、Rugbyをしていたが、年をとりはじめ、怪我をする確立が低く安全でNon-Contactスポーツをという理由で、ベースボールを始めた人も多く、なかなか裾野が広がらないのが現状ではないかと思います。
今年の9月からは、サッカーのプロリーグが発足し、オーストラリアベースボールのMajorスポーツ化という面では、前途多難といったところでしょうか。

参照
http://www.aussiepeople.com.au/describeBASEBALL.cfm
ausport.gov.au/fulltext/2000/.../pdf/australian rules football 2.pdf
http://www.kusamado.com/contents/1873.html


 関根さんは、右端です。

関根さんは、前列の無帽。


       
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